富士山のみえるまちで暮らす Vol.01|制度よりも、「人」でした。― 東京から富士市へ移住した30代夫婦の理由 ―
人と人との距離が近いまちで
― 東京から富士市へ移住した30代夫婦の暮らし ―
静岡の地域ライターとして、富士山が見えるまちで暮らす人々の声を届けていきます。
この連載では、移住者や地域に根ざして暮らす方々の、リアルな日常を紹介していきます。
記念すべき第1回は、東京から富士市へ移住してきた30代のご夫婦です。

富士市に来てからできた友人たちがサプライズで撮影してくれたという結婚記念写真
都会を離れたいと思った、あの頃
お二人が移住を考え始めたのはコロナ禍の真っ只中。
都内の狭いマンションで過ごす“引きこもりのような日々”が続く中、連休が取れると自然豊かな地方へ出かけてリフレッシュしていました。
そのうちに、「都会から離れて暮らしたい」という思いが、自然と二人の中で膨らんでいったそうです。
富士市の移住プログラムを利用し、2021年に新しい暮らしをスタートしました。
決め手は「人のあたたかさ」
自然に囲まれた暮らしを求め、移住先としては山梨県や長野県も候補に挙がっていたお二人。
複数の自治体とオンライン移住相談を重ねる中で、最終的に富士市を選んだ理由は、制度や環境以上に「人のあたたかさ」でした。
「富士市は、なんだか期待できそうだなと思って下見に来たんです。
そうしたら、海も山もすぐそこ。あこがれていた庭付き一戸建てが、都会では信じられないような家賃で借りられることに驚きました」
東京から新幹線で1時間少しというアクセスの良さも、移住を後押しするポイントでした。
地域に溶け込んでいく、リモートワークの日常
ご主人の直樹さんは、ITエンジニアとしてフルリモートワークをしています。
「住んでいる地域はお年寄りが多くて。
“いい年した若い夫婦が、毎日家から出てこない”って、外で働くのが当たり前だった世代からすると、ちょっと怪しかったかもしれませんね(笑)」
東京のマンション暮らしでは経験のなかった回覧板も、新鮮だったといいます。
回覧板をきっかけに少しずつご近所との会話が増え、昼間家にいる孝洋さんを頼って、スマホの設定をお願いされることも。
ある日は金庫の暗証番号変更まで頼まれて。
“いやいや、俺信頼されすぎじゃない?”って思いました(笑)
隣に誰が住んでいるのかも分からない都会の暮らしとは真逆の環境に、最初は驚きつつも、その距離感を楽しんでいるそうです。
「気づいたら、町内会長まで上り詰めてましたからね(笑)」
富士で広がった、妻・彩香さんの世界
妻の彩香さんは、移住生活に慣れてきた半年ほど経った頃、行動範囲を広げようと地元の会社に就職しました。
「職場の先輩がとにかく姉御肌で、
“富士での生活、ちゃんと楽しめてる?”って、いつも気にかけてくれたんです」
職場には富士市出身の人が多く、雰囲気は穏やか。とても働きやすかったそうです。
仕事にも少しずつ慣れてきた頃、先輩が畑で育てているという金柑狩りに誘ってくれました。
「行きます!」と二つ返事で、夫婦そろって参加。
専用のハサミを使うと、驚くほどきれいに収穫できるのが気持ちよく、気づけばかごいっぱいの金柑が収穫できていました。
「これ、東京で買ったらいくらするんだろう……!」
思わず声が出てしまうほどの量に、うれしい悲鳴。
もぎたての金柑をそのまま皮ごとかじると、甘酸っぱい香りが口いっぱいに広がります。
「わあ、金柑って、こんなにおいしかったんだ」
収穫した金柑はジャムにして、実家のお母さんにもおすそ分け。
都会育ちの私たちが何でも珍しがるので、先輩は面白がって、
大根やキャベツの収穫、柿狩りやスイカ割りなど、さまざまな体験をさせてくれました。
年末には、かまどで火を焚き、せいろで蒸したもち米を、杵と臼でつく本格的なお餅つきも。
すっかり親戚の一員のような顔をして毎年参加しています。
ほど良い田舎暮らしの“王道”を、一通り楽しませてもらっています。

受け取る側から、関わる側へ
夫婦の共通の趣味であるファミリーバドミントンも、富士に来てから深くはまったもののひとつです。
軽い気持ちで始めたはずが、気づけば二人とも審判員の資格を取得し、県外の大会へ遠征するほど夢中になっていました。
競技を通して出会った仲間とのつながりも、少しずつ広がっていきました。
直樹さんには釣り仲間ができ、伊豆や御前崎方面へ釣りに出かけるのが楽しみのひとつに。
一方、彩香さんは地域の子どもたちと一緒に大会に出場したり、テスト前の勉強に付き合ったりと、自然な形で地域に関わるようになりました。「気づいたら、子どもたちからも信頼してもらえる存在になっていて。
仕事で保護者が出席できないからと、授業参観の代理をお願いされたこともありました」
運動会や合唱発表会を見に行くこともあるそうです。
都会では考えられなかったような、世代を越えた深い交流が、ここでは日常になっていました。
お正月に東京の実家へ帰っても、なぜか富士の先輩の家が恋しくなってしまい、
1月1日なのにとんぼがえりで富士へ戻り、遊びに行くと
「おかえりー、お節たべてきな」と、おじいちゃんおばあちゃんが迎えてくれる。
「もう、このまちが、私たちの帰る場所なんだなって思いました」
人と人との距離が近いまち
富士市の良いところを挙げるとするなら、「ほど良い田舎」であること。
富士の人たちは、「田舎ですね」と言われることを、どこかうれしそうに受け止めます。
それは決して不便という意味ではなく、
生活に必要なものはひと通り手に入りながら、
人と人とのつながりが、今も自然な形で残っているから。
この数年、二人は富士市で、数えきれないほどのやさしさやつながりを受け取ってきました。
そして今、受け取る側から、関わる側へと、少しずつ立場が変わり始めています。
人と人との距離が近い。
富士は、そんなまちです。これからは、このまちの一員として、
富士市のために何かを返していけたら——。
そう思える場所に出会えたことが、何よりの移住の成果なのかもしれません。
